2010年にフランスのナンテールで行われたフェスティバルに出演し、フランスのサーカスカンパニーに多大な影響を受けた僕達は『ハッピーメリーサーカス』という形で何かやれないか模索していた。
その時のメンバーが
GちょこMarbleのGEN(ジェン)とちょことジャグラーの森田智博の3名である。
2011年3月11日東京にあるHMCの稽古場で練習をしていた時、練習場所を求めてShivaくんが稽古場に来ていた。
東日本大震災が起きたのはそんな時である。
数回の余震の後、今までに経験したことが無いほど長く激しいものだった。
いわゆる311と呼ばれる地震である。
電車もストップしてしまったため、帰れなくなったShivaくんは稽古場に泊まることになった。ので、近くの居酒屋で食事をしていた。
その時テレビで見た光景は想像を遥かに超えるものだった。
地震の後の津波、これが凄まじかったのである。
数日間は東京もパニックだった。
2日ほどたち、ふと気になった事があった。大道芸フェスティバルでお世話になった遠刈田温泉の人達は大丈夫なのか?
連絡先を知っていたK氏に繋がらないだろうと思いつつも電話してみた。
案の定繋がらない。
遠刈田大道芸フェスティバルに出演した事のある芸人仲間と心配しながらも、定期的に繋がらない電話をかけながらただ無事であって欲しいと祈る事しかできない日々を送っていた。
2週間ほど立ったある日、ある団体の営業をしていた人から(これもK氏、遠刈田のK氏とは別人)
「ジェン!連絡取れたぞ!!みんな無事だって!」と、一報を受けた。
早速遠刈田のK氏に電話してみる。
つながった!
話しを聞くと、遠刈田は火山の溶岩の上にできた場所だった為、死人が出るほどの被害は出なかったらしい。
ただ、道路の通行止めや電気などライフラインは途切れてしまっていたため連絡がつかなかったとの事!
ただ、村のみんなは無事なのだが、無事だからこそ被災した人達が県や国の支援の元遠刈田温泉に避難しに来てるのだという。
だから連日働き詰めで休む事ができなくてみんな参ってしまってる。これが何ヶ月か続くと考えると泣きたくなる。子供達も親がそんなだから、遊びにも連れて行ってもらえず腐り始めてる。
とのことだった。
「それなら!」と、次のような提案をした。
ギャラは要らない。
旅費もこっちでだす。
宿泊先も無いようなら車で寝泊まりで構わない。
せめてフェスティバルの時見に来てくれて盛り上げてくれた子供達だけでも大道芸を見て楽しんでもらいたいから、場所の使用許可だけ取って貰えないか?
我々東京のパフォーマーも実はパフォーマンスを行うことができなかったのてある。
大道芸の出演依頼も半年先位まで、すべて中止となってしまった。
何をやっても「不謹慎だ!」と言われてしまう様になり、我々もヘブンアーティスト活動すらやってよいのか悩むほどの環境になっていたのである。
そういうことなら・・・と、
許可は取る。
宿泊先も宿の部屋が空いてない訳では無いから部屋も押える。
その代わり、避難しに来てる人達にも声掛けて良いか?
相当な人数避難してて、その人達が暗くなってしまっているのも見てられない状況だ!との事だった。
もちろん大歓迎である。
こうして震災から1ヶ月ちょっとで遠刈田に2日間パフォーマンスしに行く事になったのだが、この事をフェスティバルプロデューサーの橋本隆雄氏に伝えると・・・な、なんと、「俺も行く~!乗せてけ!!」との事だった。なんて心強い事であろうか?
その旨を遠刈田のK氏に伝えると、「それなら・・・遠刈田温泉はそんなに酷くないから、1日は本当に被災した所に行かないか?
そっちの子供達にも元気を届けて欲しい。
そう言われて、即OKを出した。
被災地支援初日、現地に向かうため高速道路を走っていると、進めば進むだけ高速道路の地面にクラック(ひび割れ)が起きていた。地震の凄まじさを物語っている。
K氏とは高速のSAで落ち合い、まずは実際に被災した現地に向かった。
高速道路を境に片側はいつも通りの景色、反対側は何とも目の当てられない景色となっていた。
津波がここまで来ていたのである。
高速道路が堤防の役となってストップしたため、左右で天国と地獄の様な違いが出てしまったのである。
高速道路をおりて津波が来た方向へと進んでいく。
凄まじい景色である。
ある場所に行くと、ふとした違和感を覚えた。
ある場所を境に信号が消えていたのだ!
震災から1ヶ月ちょっとたったはずなのに、まだ電気が通っていないのである。
辺りは撤去しきれていない瓦礫の山、電気も通っていない場所。
電柱は折れていると言うよりはぐにゃりと曲がっている。
そんな壮絶な街並みの中に満開の桜が咲いている。
津波も自然、そんな中満開に力強く咲く桜も自然。
大自然の力を色んな意味で痛感させられた。
「あまり写真を撮りすぎると火事場泥棒と思われるから程々にしといてね。」と言われた。
そんな経験もしたことない様な所に避難所が有るのだと考えると、何とも言えない気持ちになってくる。
そうこうしているうちに避難所に着いた。
この被災地のエピソードを書き始めたら書きたいこと、書かなければ行けない。と思う事がありすぎて結構な文字数になっているにも関わらず、やっと現地に到着するところまで来ました。
一気に書いてから投稿でも良いのですが、それだと何時になるか分からないので、ひとまずここまでを投稿しようと思います。
これを書き始めてから稽古場を漁っていると、当時撮った写真が出てきたので、それを載せようと思ったのですが、今日は急遽『 くれいじぃぷれい』アルくんとゆみこの新ユニットのデビューイベントに同行してスタッフを行う事になってしまったため、写真は帰ってから載せようと思います。
※後日写真を追加しました。
GEN(ジェン)
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