GEN(ジェン)の軌跡

GEN(ジェン)の軌跡5~被災地に笑顔を届けたい~避難所の様子・千葉にエールを!

前の記事、
GEN(ジェン)の軌跡4~被災地に笑顔を届けたい~東日本大震災の時僕達が取った行動
は、こちらをご覧ください。

避難所に着くと、まず見慣れない光景が目に入った。
自衛隊の車が並び、仮設浴場だったり、炊き出しの準備をしているのだ。

防衛庁とは鉄砲やミサイル、戦車や戦闘機などを使って日本を防衛したり、侵略された地を取り戻す為の戦闘をする為のもの。だと思っていたのだが、 今回の被災地支援の旅は、 こういった救助や被災地支援も行っている。という事を知り、僕の中の防衛庁のイメージがガラリと変わるきっかけとなった旅でもあった。

そしていよいよ避難所の中に・・・

過去にテレビで見たことがあるような、みんな暗い顔をしてどんよりした空気なのかな?などと想像しながら車を下りて入口に向かうと、ちょっと意外な光景があった。

外で子供達が無邪気に走り回っている。
そう、震災があっても、子供達は遊びたいのである。

これからどうなるかわからない先の見えない不安とは関係なく、今を楽しみたいのである。

ただし、中の雰囲気はテレビで見た事のある空間がそこにはあった。

K氏が避難所の責任者と何か話している。

どうやら何をしに来たのか具体的には伝わっていなかったようだ!

もしかしたらパフォーマンスさせてもらえないかもしれない。

そう思った僕達は、外で遊んでる子供達だけでもさらに楽しい思い出を残してあげたいと思って子供達とあそび始めた。

言い忘れていたが、この時被災地に行ったのは、パフォーマーはGちょこMarbleの2人だけで、何があってもすぐ対応できるように身軽な体制で来たのである。

子供達と風船やジャグリングなどで遊んでいると、ぞくぞくと人が集まってきた。

奥ではK氏と避難所の責任者それに橋本氏が参加して話し合っている。

しばらく経つと、「じぇーん!やれるぞ!部屋も用意してくれるって!!」と、橋本氏の声が響く。

さすが橋本さん♪こういう時の説得力は抜群にある!

さすがに避難所の中でパフォーマンスを行う事は生活空間の中で行う事になってしまうから出来ないらしい。

考えてみれば当たり前の話である。

なので近場で空いている施設の部屋で行ってほしい。という事だった。

ところが、もう少ししたら食事の時間になってしまう為、直ぐに始めるのなら・・・と、着替えもメイクも無いままパフォーマンスする事になった。

一応避難所の中でパフォーマンスを行う事を告知はしてくれるみたいなのだが、予定になかった事なので、もちろん事前の告知は何もしていない。

しかも指定された会場は避難所からは少し離れている。

そこで、一緒に遊んでいた子供達に「ショーやるから場所変えるよ!みんなおいで!」と言って子供達を会場まで連れて行き、直ぐに始められる環境を半分無理やり作った。

会場に着き、いざパフォーマンスを始めると、たちまち会場内に子供達の笑い声と歓声が鳴り響いた。恐らく会場の外にも響いていたのではなかろうか・・・。

その様子はまるで今までのストレスを発散させるべく騒いでいるかのようである。

子供達は震災とは関係なく遊びたい!とは言っても、普段とは違う環境での生活。ストレスが溜まっていないわけが無い。

その笑い声に誘われて大人たちも集まってきた。

終わる頃には小規模ながらしっかりしたイベント位の人が集まっていた。

ショーが終わってから、食事までに少し時間があったので、来ていた子供達全員に風船をプレゼントさせてもらった。

あの時の子供たちの笑顔は一生忘れられないと思うし、パフォーマーとしてのやりがいを一番感じた瞬間でもあったように思う。

そして、小規模でもあれだけ盛り上がったイベントも少ない。

スタート前に子供達と遊んでいた事により、ショースタート前から子供達の心を掴めていた事。 
その子供達が、最初から笑ったり歓声を上げてくれた事により、後から来た人達も直ぐに素直に声を出す事ができた事。

何より震災と津波という巨大なストレスから一時でも解放されたという現実。

これら全てが良い方向に転がった結果だった。

むかし『からふる・ぽけっと』をじっきぃと立ち上げた時にボランティアの事やケアリングパフォーマンスや被災地支援について少し勉強したことがあったのだが、日本の被災地支援の先行部隊にはカウンセラー(心のケア)のチームが入っていないそうだ。

海外の被災地支援部隊にはカウンセラーが一番最初に現地に行く部隊に入ってる所が多いと聞いた。
地震大国日本としてその遅れは如何なものかと、当時疑問に思った事を覚えている。

もっとも20年近く前に調べた事なので、今どうなっているかは知らないが、2012年に被災地支援に行った時、心のケアがいかに大切なのかを気付かされた。

子供達とその家族と少し交流した後、また来る事を約束してその場を去った。

遠刈田(とおがった)に行く予定だけだったのが、こうして被災した場所に直接行ってパフォーマンスをする機会をくれたK氏、そしてちゃんとパフォーマンスが出来るように交渉してくれた橋本氏には感謝の言葉しかない。

この経験は僕がパフォーマンスとどう向き合っていくのか、なんの為にパフォーマンスをしているのかその根本を考えるいい機会になった。

被災地を後にした我々は、いよいよ目的の地の遠刈田温泉に向かった。

その日は宿泊して翌日にパフォーマンスを行う予定だ。

現地に着くとフェスティバルの時いつもお世話になってる旅館に案内された。

旅館の女将さんとご主人と我々が無事に再会できたことを喜んだ後、旅館の温泉に入り食事をさせてもらった。

いつも通りのすごく美味しい立派な食事だった。

この瞬間は被災地支援に来たのか、旅行に来たのか分からない状態となり、その日あった凄まじい体験の数々をリセットして、翌日のパフォーマンスに集中する為の良い時間となった。

食事の後、K氏がラベルが真っ赤に染まったワインを持ってきて・・・

「これはワインを被ったワインで、売り物にならなくなったものだから、一緒に飲もう!」と言ってくれた。

棚に陳列してあったワインが地震で割れてその下にあったワインが被ってしまったという事らしい。

この頃の僕は酒に目がなく、かなりの量飲むことを知っていたK氏の心使いだった。

震災の時の話、これからどうして行くのか?どうするべきなのか?様々な話しをしていると、何人か挨拶に来てくれた。

どの人達もフェスティバルの時見た事のある顔ぶれだった。

心のどこかにパフォーマンスに押しかけた事がかえって迷惑にはならないだろうか?と、不安だった僕達の心を完全に拭い去ってくれるほど感謝された飲み会だった。

その夜は、皆さんのあたたかい心遣いのおかげでグッスリと寝る事ができた。

この『被災地に笑顔を届けたい』の第2話でようやく初日終了。

第2話を書き始めた時は遠刈田が終わるくらいまで書こうと思っていたのだが、やはり内容が増えていってしまった。

第3話では遠刈田の終わりまでは行きたいと思う。

本当なら全てをサラッと書き上げて千葉で頑張っている仲間にエールを送る内容にしたかったのだが、どうやら最後まで書き上げるには時間が足りなすぎるらしい。

そう、今日と明日。

『復興応援 千葉大道芸』

が行われている最中なのだ。

今日は残念ながら雨のため、一部縮小したらしいが、天気予報を見ると明日は午後には雨が上がるらしい。

今からでも明日(2019年11月24日)予定がつけられる人は是非千葉に大道芸をぜひ見に行ってもらいたい。

千葉に笑顔を届けるために仲間の大道芸人たちが頑張っているのだ。

正直今回このブログの企画を思いついたのが、ちょっと遅すぎました・・・。

千葉にエールが送れないとあまり意味がないため、今回も写真の選別は後回しにし、シリーズ最後まで書き上げられないが、先に『復興支援 千葉大道芸』の宣伝をさせてもらうことにしました。

『アルジェントさーかす』は今回参加してはいないが、千葉に笑顔が届くようにイベントの成功を心から祈っています。

がんばれ!

GEN(ジェン)

GEN(ジェン)の軌跡一覧はこちらです。

GEN(ジェン)の軌跡4~被災地に笑顔を届けたい~東日本大震災の時僕達が取った行動

2010年にフランスのナンテールで行われたフェスティバルに出演し、フランスのサーカスカンパニーに多大な影響を受けた僕達は『ハッピーメリーサーカス』という形で何かやれないか模索していた。

その時のメンバーが

GちょこMarbleのGEN(ジェン)とちょことジャグラーの森田智博の3名である。

2011年3月11日東京にあるHMCの稽古場で練習をしていた時、練習場所を求めてShivaくんが稽古場に来ていた。

東日本大震災が起きたのはそんな時である。

数回の余震の後、今までに経験したことが無いほど長く激しいものだった。

いわゆる311と呼ばれる地震である。

電車もストップしてしまったため、帰れなくなったShivaくんは稽古場に泊まることになった。ので、近くの居酒屋で食事をしていた。

その時テレビで見た光景は想像を遥かに超えるものだった。

地震の後の津波、これが凄まじかったのである。

数日間は東京もパニックだった。

2日ほどたち、ふと気になった事があった。大道芸フェスティバルでお世話になった遠刈田温泉の人達は大丈夫なのか?

連絡先を知っていたK氏に繋がらないだろうと思いつつも電話してみた。

案の定繋がらない。

遠刈田大道芸フェスティバルに出演した事のある芸人仲間と心配しながらも、定期的に繋がらない電話をかけながらただ無事であって欲しいと祈る事しかできない日々を送っていた。

2週間ほど立ったある日、ある団体の営業をしていた人から(これもK氏、遠刈田のK氏とは別人)

「ジェン!連絡取れたぞ!!みんな無事だって!」と、一報を受けた。

早速遠刈田のK氏に電話してみる。

つながった!

話しを聞くと、遠刈田は火山の溶岩の上にできた場所だった為、死人が出るほどの被害は出なかったらしい。

ただ、道路の通行止めや電気などライフラインは途切れてしまっていたため連絡がつかなかったとの事!

ただ、村のみんなは無事なのだが、無事だからこそ被災した人達が県や国の支援の元遠刈田温泉に避難しに来てるのだという。

だから連日働き詰めで休む事ができなくてみんな参ってしまってる。これが何ヶ月か続くと考えると泣きたくなる。子供達も親がそんなだから、遊びにも連れて行ってもらえず腐り始めてる。

とのことだった。

「それなら!」と、次のような提案をした。

ギャラは要らない。

旅費もこっちでだす。

宿泊先も無いようなら車で寝泊まりで構わない。

せめてフェスティバルの時見に来てくれて盛り上げてくれた子供達だけでも大道芸を見て楽しんでもらいたいから、場所の使用許可だけ取って貰えないか?

我々東京のパフォーマーも実はパフォーマンスを行うことができなかったのてある。

大道芸の出演依頼も半年先位まで、すべて中止となってしまった。

何をやっても「不謹慎だ!」と言われてしまう様になり、我々もヘブンアーティスト活動すらやってよいのか悩むほどの環境になっていたのである。

そういうことなら・・・と、

許可は取る。

宿泊先も宿の部屋が空いてない訳では無いから部屋も押える。

その代わり、避難しに来てる人達にも声掛けて良いか?

相当な人数避難してて、その人達が暗くなってしまっているのも見てられない状況だ!との事だった。

もちろん大歓迎である。

こうして震災から1ヶ月ちょっとで遠刈田に2日間パフォーマンスしに行く事になったのだが、この事をフェスティバルプロデューサーの橋本隆雄氏に伝えると・・・な、なんと、「俺も行く~!乗せてけ!!」との事だった。なんて心強い事であろうか?

その旨を遠刈田のK氏に伝えると、「それなら・・・遠刈田温泉はそんなに酷くないから、1日は本当に被災した所に行かないか?

そっちの子供達にも元気を届けて欲しい。

そう言われて、即OKを出した。

被災地支援初日、現地に向かうため高速道路を走っていると、進めば進むだけ高速道路の地面にクラック(ひび割れ)が起きていた。地震の凄まじさを物語っている。

K氏とは高速のSAで落ち合い、まずは実際に被災した現地に向かった。

高速道路を境に片側はいつも通りの景色、反対側は何とも目の当てられない景色となっていた。

津波がここまで来ていたのである。

高速道路が堤防の役となってストップしたため、左右で天国と地獄の様な違いが出てしまったのである。

高速道路をおりて津波が来た方向へと進んでいく。

凄まじい景色である。

ある場所に行くと、ふとした違和感を覚えた。

ある場所を境に信号が消えていたのだ!

震災から1ヶ月ちょっとたったはずなのに、まだ電気が通っていないのである。

辺りは撤去しきれていない瓦礫の山、電気も通っていない場所。

電柱は折れていると言うよりはぐにゃりと曲がっている。

そんな壮絶な街並みの中に満開の桜が咲いている。

津波も自然、そんな中満開に力強く咲く桜も自然。

大自然の力を色んな意味で痛感させられた。

「あまり写真を撮りすぎると火事場泥棒と思われるから程々にしといてね。」と言われた。

そんな経験もしたことない様な所に避難所が有るのだと考えると、何とも言えない気持ちになってくる。

そうこうしているうちに避難所に着いた。

この被災地のエピソードを書き始めたら書きたいこと、書かなければ行けない。と思う事がありすぎて結構な文字数になっているにも関わらず、やっと現地に到着するところまで来ました。

一気に書いてから投稿でも良いのですが、それだと何時になるか分からないので、ひとまずここまでを投稿しようと思います。

これを書き始めてから稽古場を漁っていると、当時撮った写真が出てきたので、それを載せようと思ったのですが、今日は急遽『 くれいじぃぷれい』アルくんとゆみこの新ユニットのデビューイベントに同行してスタッフを行う事になってしまったため、写真は帰ってから載せようと思います。

※後日写真を追加しました。

GEN(ジェン)

被災地支援の続きはこちらをご覧ください。

GEN(ジェン)の軌跡の一覧はこちらです。

GEN(ジェン)の軌跡 第3話グループショー 【大道芸人GEN(ジェン)の歴史】

こんにちは、Happy Merry CircusのGEN(ジェン)です。

僕がHappy Merry Circusやアルジェントさーかすなどグループショーが好きな理由についてお話しします。

そうなんです。実は僕は1人でショーを行うよりも人と組んで一緒にグループショーをやるのが好きなんです。

僕のパフォーマンスのコンセプトの中に

『人と人とのかかわり合いって、色々あるけど素晴らしいよね♪』という事を伝えたい。

というのがあります。

『アルジェントさーかす』や『ハッピーメリーサーカス』はもちろん、今まで行ってきたグループショー全てにこのコンセプトが入っています。

今までに行ってきたユニット・グループショー・舞台・コラボ(1回だけのものも含める)など2人以上で行ったショーの作品数は何と100を超えています∑(°口°๑)

これ数えた時は自分でも驚きました(゚▽゚;)!

100超えてるって凄くないですか?

これだけやってるととうぜんパフォーマンス業界に名前が広がった作品もいくつかあります♪

Tim Tam・ツィルクロータス・GちょこMarble・男と女・Happy Merry Circus・アルジェントさーかす

Tim TamとツィルクロータスはまだYouTubeがそんなに活発じゃなかった頃なので検索してもでてこないと思いますが、残りのものはYouTubeにアップしてあるので、興味がある方はご覧下さい。

GちょこMarble

男と女

Happy Merry Circus

アルジェントさーかす

動画は残っていなかったけど、写真が残っていたもの

HMC のミニサーカス2007

GEN(ジェン)
CHEEKY!
しおじゃり
森田智博

アクロバットコメディ Tim Tam

GEN(ジェン)

CHEEKY!

ツィルク ロータス

GEN(ジェン)
CHEEKY!
あこぷぅ
なおだ―7

ツィルク ロータス
ファニーキングダム

GEN(ジェン)
CHEEKY!
あこぷう
あさこ
齋藤英祐

ツィルク ロータス
GYyA

GEN(ジェン)
あこぷう
よちみ

ツィルク ロータス
ヌーボ

GEN(ジェン)
CHEEKY!
あこぷぅ
まるゆん

僕のイベントとのかかわり合いの1番始めはまだ高校生だった頃、叔父がイベント会社をやっていてそこでアルバイトしていた時からです。

その会社凄かったんですよ!スキー場でリフトのおじさんが迷子のお知らせするくらいしか場内放送を行ってなかった頃にDJを入れてインフォメーションガールを作ってスキー場をミーハー化してしまった会社なんです!

そこのプロデューサーは早稲田の音研から爆風スランプを発掘し、THE BLUE HEARTSが会社と喧嘩した時にTHE HIGH-LOWSとして身元を引き受けた・・・ようするにハイローズの初代社長
だったんです!

その頃はそんな事知らずに接していましたけど( ̄▽ ̄;)

その時耳がタコになるほど聞かされたのは・・・

「人間1人じゃ生きていけないんだから!」
「苦手な事(仕事効率が悪い事)まで1人でやろうとしないで、もっと人を頼りなさい!その代わりその人が困ってて、自分が得意な事は手伝ってあげなさい。」
「そうやって良いチームができるのだから!」

という言葉でした。
グループショーではその辺がすごく行かされています。
僕ができなかったり苦手な演目は人に任せる!
そして人と人とのかかわり合いから生まれるコメディーや面白いシーンを大事にする。

そう考えると、誰とでも組めるんですよね♪

そんな感じで色んな人と遊んでいたらいつの間にかグループショーが100作品超えたって感じですね(^-^)/

「人間1人じゃ生きていけないんだから!」この言葉を教えてくれた叔父には感謝しています。

そんな叔父の会社はバブルが崩壊した煽りを受けて無くなってしまいましたけどね( ̄▽ ̄;)

みなさんも何でもかんでも1人でやろうとするのではなく、人を頼って行きましょう♪
その代わり自分ができる事は進んで手伝ってあげる。そうすると物事上手く進みますよ(^-^)/

ちなみにいちばん最初にやったコラボって何かな?と考えて見たら・・・
じっきぃと行ったコラボでしたね♪
後にユニットとして活動して、『クラウンとりっぷ』として活動していました(^-^)/
先日じっきぃがその頃の写真を発掘してくれたのでご紹介!

僕がサーカス学校に行くまでの4年間じっきぃとはいろんなことをやりましたね♪

『からふるぽけっと』『クラウンとりっぷ』『バルーンバトル』

バルーンバトルは僕(クラウンネームちっくん)とじっきぃとマジカルTOMの三人の作品です。

まぁこの辺のことはそのうちまた書きたいと思います。

GEN(ジェン)

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GEN(ジェン)の軌跡 第2話 アルジェントさーかすができた経緯 【大道芸人GEN(ジェン)の歴史】

こんにちは、Happy Merry CircusのGEN(ジェン)です。

アルジェントさーかすはパフォーマーどうしが組んでできたユニットではないのです。

現場たたき上げから初めて芸歴20年のGEN(ジェン)と

アルジェントさーかすでパフォーマンス人生をスタートし、現場たたき上げで成長し続けているアルくん。

二人の共通点はサーカスが好きなこと。

サーカスを通した2人の物語をお楽しみください。

アルジェントさーかすとは?

ハッピーメリーサーカスから飛び出した2人組の大道芸ユニット

ドタバタ青空サーカス『アルジェントさーかす』についてお話しします。

どんなショーかと言うと・・・

サーカス芸人GEN(ジェン)とクラウンアルくんによるサーカス芸を使った大道芸ユニットでお客様に笑われています。

(*´-ω・)ン?なんのこっちゃと思っていると思うので、もう少し細かく説明を♪

アルくんのイタズラによってどんどん危険な重なり方になっていく5つの椅子、1mを超える巨大な風船に入ってしまったGEN(ジェン)。この2人が繰り広げるドタバタな関係は笑わずにはいられない。サーカスから飛び出した2人のショーはドキドキワクワクの連続。アルジェントさーかすのショーを見て、笑って叫んで一緒に盛り上がりましょう!

少しでも気になったらこちらをご覧下さい。プロモーションビデオです。

GEN(ジェン)とアルくんとの出会い


「街でいきなり声をかけられました♪」ヾ(●´∇`●)ノ♪


ドッドッドッドッ・・・≡┏( `Д´)┛

(;^^) ⊂彡☆))Д´) パーン 間違った情報を吹き込むでない!byアルくん

正しくは・・・

僕が錦糸町で大道芸をやっていた時、終わってから凄く熱心に話しかけてくる人がいました。

アルくん:「クラウンやりたいのだけど、どこで習ったらいいのかわからない!」

GEN(ジェン):「それじゃ、一度稽古場遊びに来てみる?」

かなり要約しましたが、こんな感じのやり取りでした。

アルくんはもともと保育士補助をしていてクラウンになる事を夢見る木下サーカスが大好きな子でした♪

「クラウンになりたい!」と僕の元へ飛び込んで来てくれました。

何が一番好きか夢中になるものを探すのと同時にさくらパフォーマンスとしてGEN(ジェン)のショーに客上げをしていました。

アルくんの育成方法は、ブログ記事『好きなことを見つける。これが成功の秘訣である。』とブログ記事『いい加減が良い加減なんだ!』力を抜いてゼロポジションで人前に立て! をご覧ください。

さくらパフォーマンスで客上げショーをしていく中で、

「ショーではお芝居と一緒で世間体を気にしないで好きな事をやっていいんだよ!」

と言ったら、出てくる出てくる!

いたずらっ子の本性(〃艸〃)

あまりに自由奔放で面白かったので、ほとんど下積み無しで人前に立たせてしまいました。

今まで僕の元からデビューしたパフォーマーの中でデビューが早かったのは、

『大道芸人たいち』と『GちょこMarbleのちょこ』の2人ですが、たいちは僕の元に来る前キグレサーカスで3年ピエロをやっていたし、

ちょこはエアリアルの養成所で発表会やグループショーの経験があったり、幼少の頃からやっていたバレーも芸歴と入れるなら僕よりも芸歴が長い!

という子だったので2人とも大道芸デビューが早いと言うだけで、人前に立つ経験はありましたから、100%現場での叩き上げというのは初めての事です♪

(゜Д゜)アッ!?僕自身が100%現場での叩き上げでした(笑)

まぁもっともアルくんは高校演劇経験者なので、100%ではないのかな?

そんなアルくんのと組み始めて2年が経ちましたが、ありえない速度で実績を伸ばしています。

これは芸歴20年の僕史上1番の速度ですね♪

そんなアルジェントさーかすの事をもっと知りたい方はアルジェントさーかすのプロフィールページをご覧下さい。

アルジェントさーかすのプロフィール

そんなアルくんの成長速度は、ブログ記事『2019年8月アルジェントさーかすは草津湯畑大道芸に出演してきました。』で触れているので、そちらも読んでみてください。


これからどこまで成長していくかすごく楽しみな大道芸ユニットです。

皆さんも応援よろしくお願いします。

アルくんの事がもっと知りたい方はこちらをご覧下さい

追伸

アルジェントさーかすで1番正解だったなと思うことは、失敗を恐れずに行けるかもと思った瞬間デビューしてしまった事ですね♪

僕は失敗は成功するために必要な課題を教えてくれる場所だと考えています。

みなさんも恐れずに色んなことに挑戦していきましょう(^-^)/

GEN(ジェン)

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GEN(ジェン)の軌跡第1話『HMC(ハッピーメリーカンパニー)誕生』

『HMC(ハッピーメリーカンパニー)』代表・『Happy Merry Circus(ハッピーメリーサーカス)』団長・『アルジェントさーかす』リーダーの大道芸人GEN(ジェン)です。

肩書なが!!!!(゚ロ゚ノ)ノ

全部宣伝しようと思うと長くなっちゃいますね(;^_^A

前にもどこかで触れたと思うのですが、僕が辿ってきた人生を少しづつ紹介していこうと思います。

その名も

『GEN(ジェン)の軌跡』

たいそうな名前ですが、僕が途中で投げ出さないようにするためにもちょっとたいそうな名前を付けました。

それでは・・・

第1話HMC(ハッピーメリーカンパニー)誕生

HMC(ハッピーメリーカンパニー)ができるまでの大まかな流れからお話ししていこうと思います。

ハッピーメリーカンパニーの意味

楽しくて幸せになれる空間を作る仲間
とか、
楽しくて面白い仲間たち

という意味です。

HMCができるまで

1999年に大道芸人の道に入った僕は、とにかく色々なものを見て、勉強していました。

 その中でも特に好きだったのがクラウンそれも海外のサーカスクラウンにハマってしまいました。

 とにかく人間臭かったんですよね。

 人間が持つ悩み・こだわり・喜び・悲しみ・怒り、一人一人同じ様な人はいなく個性の塊だったクラウン達、

 そしてその人と人とのかかわり合いによって生まれる笑い。

 どれも日本では見ることが出来なかったものです。

 もっとも僕の勉強不足で、日本にもそんなクラウンがいることがわかったのは随分後のことです。

当時僕はクラウンの格好をしてクラウンの真似事をしながらバルーンアートをメインにショーを行っていたのですが、「こんなのクラウンじゃない!」どこかで習えないかな?

 と、いろんなワークショップへいき、勉強をしてました。

 そんな時ヨーロッパのクラウンが好きで、すごく勉強していたあるクラウンと出会いました。
名前を『Cartoon Clown CHEEKY!』見たショーは『ホッチポッチ』(スペルが思い出せないです(´;ω;`)ウゥゥ)

CHEEKY!としゅうちょうのショーでした。

中国のことわざで 「必要な段階に来た時、師は必ず現れる」というのがあります。  クラウンに悩んでいた僕は迷わず声をかけました。

 話しを聞いていると、僕と芸歴1年しか変わらない∑(°口°๑)

 大きく違っていたのは環境だとわかりました。

 そしてCHEEKY!と環境を同じにする為にサーカス学校へ!

 そこでCHEEKY!と一緒に作ったのがHMC(ハッピーメリーカンパニー)です。

 僕達がよく語っていた夢は「いつか日本のシルク・ドゥ・ソレイユ作りたいね♪」というものでした。

 これがHMC(ハッピーメリーカンパニー)を立ち上げた経緯です。

ざっくりした説明ですが、細かくお話しするとこれまた長いこと長いこと(笑)
おいおいゆっくり語っていきたいと思います。

GEN(ジェン)が大切にしている事

「人に教わる事を躊躇するな!」という事です。

 そして教わるという事はその人が辿ってきた道をその人よりも短い時間で体験出来るという事です。

 これは芸事に限ったことではありません。

 「必要な段階に来た時、師は必ず現れる」

 チャンスと思った時に教わる事に躊躇せずにしっかり飛び込むこと。

 これがチャンスをものにする大きな秘訣だと僕は考えます。

 ちなみにこのことわざで言う師とは、人とは限りません。

 先生(人間)はもちろん書物・教材・自然・反面教師・出来事などあなたに必要な知識を与えてくれる全てという事だそうです。


GEN(ジェン)