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GEN(ジェン)の軌跡4~被災地に笑顔を届けたい~東日本大震災の時僕達が取った行動
は、こちらをご覧ください。
避難所に着くと、まず見慣れない光景が目に入った。
自衛隊の車が並び、仮設浴場だったり、炊き出しの準備をしているのだ。
防衛庁とは鉄砲やミサイル、戦車や戦闘機などを使って日本を防衛したり、侵略された地を取り戻す為の戦闘をする為のもの。だと思っていたのだが、 今回の被災地支援の旅は、 こういった救助や被災地支援も行っている。という事を知り、僕の中の防衛庁のイメージがガラリと変わるきっかけとなった旅でもあった。
そしていよいよ避難所の中に・・・
過去にテレビで見たことがあるような、みんな暗い顔をしてどんよりした空気なのかな?などと想像しながら車を下りて入口に向かうと、ちょっと意外な光景があった。
外で子供達が無邪気に走り回っている。
そう、震災があっても、子供達は遊びたいのである。
これからどうなるかわからない先の見えない不安とは関係なく、今を楽しみたいのである。
ただし、中の雰囲気はテレビで見た事のある空間がそこにはあった。
K氏が避難所の責任者と何か話している。
どうやら何をしに来たのか具体的には伝わっていなかったようだ!
もしかしたらパフォーマンスさせてもらえないかもしれない。
そう思った僕達は、外で遊んでる子供達だけでもさらに楽しい思い出を残してあげたいと思って子供達とあそび始めた。
言い忘れていたが、この時被災地に行ったのは、パフォーマーはGちょこMarbleの2人だけで、何があってもすぐ対応できるように身軽な体制で来たのである。
子供達と風船やジャグリングなどで遊んでいると、ぞくぞくと人が集まってきた。
奥ではK氏と避難所の責任者それに橋本氏が参加して話し合っている。
しばらく経つと、「じぇーん!やれるぞ!部屋も用意してくれるって!!」と、橋本氏の声が響く。
さすが橋本さん♪こういう時の説得力は抜群にある!
さすがに避難所の中でパフォーマンスを行う事は生活空間の中で行う事になってしまうから出来ないらしい。
考えてみれば当たり前の話である。
なので近場で空いている施設の部屋で行ってほしい。という事だった。
ところが、もう少ししたら食事の時間になってしまう為、直ぐに始めるのなら・・・と、着替えもメイクも無いままパフォーマンスする事になった。
一応避難所の中でパフォーマンスを行う事を告知はしてくれるみたいなのだが、予定になかった事なので、もちろん事前の告知は何もしていない。
しかも指定された会場は避難所からは少し離れている。
そこで、一緒に遊んでいた子供達に「ショーやるから場所変えるよ!みんなおいで!」と言って子供達を会場まで連れて行き、直ぐに始められる環境を半分無理やり作った。
会場に着き、いざパフォーマンスを始めると、たちまち会場内に子供達の笑い声と歓声が鳴り響いた。恐らく会場の外にも響いていたのではなかろうか・・・。
その様子はまるで今までのストレスを発散させるべく騒いでいるかのようである。
子供達は震災とは関係なく遊びたい!とは言っても、普段とは違う環境での生活。ストレスが溜まっていないわけが無い。
その笑い声に誘われて大人たちも集まってきた。
終わる頃には小規模ながらしっかりしたイベント位の人が集まっていた。
ショーが終わってから、食事までに少し時間があったので、来ていた子供達全員に風船をプレゼントさせてもらった。
あの時の子供たちの笑顔は一生忘れられないと思うし、パフォーマーとしてのやりがいを一番感じた瞬間でもあったように思う。
そして、小規模でもあれだけ盛り上がったイベントも少ない。
スタート前に子供達と遊んでいた事により、ショースタート前から子供達の心を掴めていた事。
その子供達が、最初から笑ったり歓声を上げてくれた事により、後から来た人達も直ぐに素直に声を出す事ができた事。
何より震災と津波という巨大なストレスから一時でも解放されたという現実。
これら全てが良い方向に転がった結果だった。
むかし『からふる・ぽけっと』をじっきぃと立ち上げた時にボランティアの事やケアリングパフォーマンスや被災地支援について少し勉強したことがあったのだが、日本の被災地支援の先行部隊にはカウンセラー(心のケア)のチームが入っていないそうだ。
海外の被災地支援部隊にはカウンセラーが一番最初に現地に行く部隊に入ってる所が多いと聞いた。
地震大国日本としてその遅れは如何なものかと、当時疑問に思った事を覚えている。
もっとも20年近く前に調べた事なので、今どうなっているかは知らないが、2012年に被災地支援に行った時、心のケアがいかに大切なのかを気付かされた。
子供達とその家族と少し交流した後、また来る事を約束してその場を去った。
遠刈田(とおがった)に行く予定だけだったのが、こうして被災した場所に直接行ってパフォーマンスをする機会をくれたK氏、そしてちゃんとパフォーマンスが出来るように交渉してくれた橋本氏には感謝の言葉しかない。
この経験は僕がパフォーマンスとどう向き合っていくのか、なんの為にパフォーマンスをしているのかその根本を考えるいい機会になった。
被災地を後にした我々は、いよいよ目的の地の遠刈田温泉に向かった。
その日は宿泊して翌日にパフォーマンスを行う予定だ。
現地に着くとフェスティバルの時いつもお世話になってる旅館に案内された。
旅館の女将さんとご主人と我々が無事に再会できたことを喜んだ後、旅館の温泉に入り食事をさせてもらった。
いつも通りのすごく美味しい立派な食事だった。
この瞬間は被災地支援に来たのか、旅行に来たのか分からない状態となり、その日あった凄まじい体験の数々をリセットして、翌日のパフォーマンスに集中する為の良い時間となった。
食事の後、K氏がラベルが真っ赤に染まったワインを持ってきて・・・
「これはワインを被ったワインで、売り物にならなくなったものだから、一緒に飲もう!」と言ってくれた。
棚に陳列してあったワインが地震で割れてその下にあったワインが被ってしまったという事らしい。
この頃の僕は酒に目がなく、かなりの量飲むことを知っていたK氏の心使いだった。
震災の時の話、これからどうして行くのか?どうするべきなのか?様々な話しをしていると、何人か挨拶に来てくれた。
どの人達もフェスティバルの時見た事のある顔ぶれだった。
心のどこかにパフォーマンスに押しかけた事がかえって迷惑にはならないだろうか?と、不安だった僕達の心を完全に拭い去ってくれるほど感謝された飲み会だった。
その夜は、皆さんのあたたかい心遣いのおかげでグッスリと寝る事ができた。
この『被災地に笑顔を届けたい』の第2話でようやく初日終了。
第2話を書き始めた時は遠刈田が終わるくらいまで書こうと思っていたのだが、やはり内容が増えていってしまった。
第3話では遠刈田の終わりまでは行きたいと思う。
本当なら全てをサラッと書き上げて千葉で頑張っている仲間にエールを送る内容にしたかったのだが、どうやら最後まで書き上げるには時間が足りなすぎるらしい。
そう、今日と明日。
『復興応援 千葉大道芸』
が行われている最中なのだ。
今日は残念ながら雨のため、一部縮小したらしいが、天気予報を見ると明日は午後には雨が上がるらしい。
今からでも明日(2019年11月24日)予定がつけられる人は是非千葉に大道芸をぜひ見に行ってもらいたい。
千葉に笑顔を届けるために仲間の大道芸人たちが頑張っているのだ。
正直今回このブログの企画を思いついたのが、ちょっと遅すぎました・・・。
千葉にエールが送れないとあまり意味がないため、今回も写真の選別は後回しにし、シリーズ最後まで書き上げられないが、先に『復興支援 千葉大道芸』の宣伝をさせてもらうことにしました。
『アルジェントさーかす』は今回参加してはいないが、千葉に笑顔が届くようにイベントの成功を心から祈っています。
がんばれ!
GEN(ジェン)
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